どもどもこんにちはまっぴんです。
まっぴん中の人は名古屋で〇年前大学生の頃から「よさこいを始めた」んですけど、
長くやっていく連れて、そして改めて最近こう思うことがあるんです。
っていうことです。
今回はそんなテーマで話をしたいと思います。
最近あんまりお祭りもないのでこう・・・考えることが多いんですね笑笑
目次
1. 「よさこい」ってなんだ??
以前「よさこいを知ろう」というシリーズブログの中で「よさこいとは?」について書きました。
こちらのブログでは、
「何がよさこいで何がよさこいじゃないか」っていうことよりもよさこいの歴史というところに触れたものでした。
今回このような記事を書こうと思ったのは、
最近コロナ禍でSNS活動が活発になってきている中で今まで知らなかったチームを知るようになって(これはとってもいいこと!)演舞とかPVとか観るんですね。
その中で冒頭のような疑問が浮かんできたんです。
「よさこいって何?」
「何を以て「よさこい」っていうの?」
「よさこいやってるっていうのは「何をやってる」っていうことなの?」
って。
つまりはみなさんが「よさこい」と名乗ってやっていることが地域やチームによって全然異なる、
共通している点が少ない、
って思ったんです。
2. 3段階にわけてみる
そこでまずよさこいをよさこいたらしめる要素を3段階にわけてみました。
① よさこい節が入った曲
② 鳴子を持って(鳴らして)
③ 踊っている
この①~③を全て満たしてはじめて「よさこい」なのか。
どれか満たしてなくても代替えを考慮していたら「よさこい」なのか。(後で述べます民謡のことです)
みたいな。
もっと言えば「地方車」や「衣装」などありますけど、
地方車のありなし、つまりパレードのあるなしはお祭りの規模により自分たちでどうこうできるものではないこと、
衣装はチーム演舞として活動しているチームは基本的に衣装着ていることから、
この2項目は除外しました。
この3段階にそれぞれ「該当している・していない」で考えて
「していない」場合それはよさこいとは言えるのか、について考えていきますね。
2-1. よさこい節が入っていない曲
引用:http://www.plamrec.com/shityou17.htm
曲中に「よさこい節」が入っていないということはそもそも「よさこいではない」ということ。
逆に言えば、高知のよさこい祭りに出ているチームは全て「よさこいをやっている」と胸を張って言えるんです。源流ですしそれは当たり前のことですね。
別の地域、北海道YOSAKOIソーラン祭りでは「ソーラン節」が入っている曲、ということがルールでした。
引用:https://www.yosakoi-soran.jp/knowledge/
また愛知県、にっぽんど真ん中祭りではもっと自由に「地域の民謡、校歌、歌声、ご当地の掛け声」も大丈夫ということです。
引用:https://www.domatsuri.com/document/23th.pdf
※テレどまつりの参加要綱です。
ソーラン節が入っているということは「よさこいをやっている」よりも「ソーランをやっている」っていうニュアンスですよね。
ただ「YOSAKOI」ソーラン祭りなのでよさこいは意識しているということになりますね。
実際検索で「よさこい」と日本語で検索すると一番上にきました。
つまりYOSAKOIソーラン祭りはよさこいの源流をそのままひいている、とは言わないまでも近いところだとわかります。
まっぴん個人的には「よさこいをやっている」というよりも「「YOSAKOI」をやっている」、っていうニュアンスだと感じました。
・・・実際YOSAKOIソーラン祭りを本祭としているチーム、踊り子のみなさんって「「何を」やっている」って言っているのかすごい気になります!!
(誰か教えてください!!)
またにっぽんど真ん中祭りでは「地域・ご当地」にフォーカスしているのでよさこい節を使うことは高知県のチーム以外ではルール上おかしいということになりますよね。
という意味では曲の意味では「よさこいをやっている」とは言えないですよね。
「どまつりをやっている」というニュアンスです。
2-2. 鳴子を持っていない演舞
鳴子を持たない。
それでも「よさこいをやっている」と言えるかどうか。
これはまっぴん的にはよさこいをやっているとは言えないと考えています。
「鳴子」とはよさこいならではのアイデンティティだと考えるからです。
仮に曲中によさこい節が入っていなくても、ソーラン節や民謡すら入っていなくてもそこってあんまり問題ないかなって思います。
何故なら聴いて認識できるかできないかという別の問題があるからです。
最近の各チームの曲では曲のどの部分によさこい節、ソーラン節、民謡が入っているかわからない、でもお祭りに出ているということは曲中のどこかに入っているんだろうなぁ、で済んでしまうからです。
(実際お祭りの方は1曲1曲聴いて民謡が入っている入っていないと判断しているんでしょうか・・・)
でも鳴子を持っている持っていないということは視覚的に認識できることで、老若男女全てが判断できるとってもわかりやすい判断材料です。
鳴子を持っていなかったら・・・
和っぽい衣装を着て集団で踊っている
だけです。
演舞??和踊り??盆ダンス??ダンス??
それを表す最適な言葉が分かりませんがみなさんが普段から使っている言葉では「演舞している」ということなのかもしれません。
・・・で今回言いたいことなんですけど
「だから認めない!!」「あんなのよさこいじゃない!!」ではないんです。
これってよくあることなんです。
よさこいが生まれてもう70年以上。
その間に全国に、そして海外にもよさこいが広まっていきました。
その中で源流がそのまま伝わり続けることってなかなか難しいんですよね。
広まれば広まるほどその大元の部分が曖昧になってきていて、
みなさんが「自分たちがよさこいだと思ってやっているもの」が実際源流のひとからしたら「それはよさこいではないよね」って思われることもあるんです。
でもどまっぷとしては
広まっていくことそれ自体はむしろ良いことです。
広まっていく中でカタチが変わっていくことも良いことです。
と思っています。
3. 盆踊りの話
中には源流がブレるくらいなら広まらなくていい、という考え方もあります。
ある意味閉鎖的な状況を作り出して門外不出みたいにするほうが濃度は濃くなり熟成されていきます。
東海圏以外の方には馴染みがないかもしれませんが「郡上盆踊り」ってそんなところがあると感じてます。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E4%B8%8A%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8A
・・・というのも郡上の盆踊りの最中にテンションが上がったまっぴん中の人は酒の勢いもあって決まった振りじゃなくてアドリブで踊ったんです。それは最早盆踊りではなくダンスでした。
そしたら、めちゃくちゃに怒鳴られたんです。
つまり盆踊り以外をやるならよそでやってくれ、という不純物が入るのを極端に拒絶しているようでした。
盆踊りをよさこいはまた異なる背景があるので一括りにはできませんが郡上の盆踊りはそこまで排他的にすることにより独自の進化・深化を遂げ、「日本三大盆踊り」と言われるようになり、全国から人が集まるようになったんですね。
一報でこういうのもあるんです。郷に入らば郷に従え。
でもこれは良い悪いの話ではありません。
郡上の方々が頑なにそれらを守り通してきただけです。
4. 全部ひっくるめて「よさこい」でいいじゃん
まとめます。
ダンスのジャンルにオールドスクールとニュースクールという言葉があります。
オールドスクール : 昔ながらの価値観やスタイル
ニュースクール : 新たな価値観やスタイル
また、一括りにダンスと言っても様々なジャンルがあります。
ヒップホップ、ジャズ、ロッキン、ポッピン、バレエ・・・などなど。
でもまとめると「ダンス」なんですよね。
ダンス=舞踊の源流をたどっていくと大元、源流もあると思いますが今それについていろいろ言うひとはいません。
基本的にはよさこいも同じだと考えています。
よさこいをダンスに置き換えるなら、
ずっと本場高知のよさこいに慣れ親しんでいる、言わばオールドスクールの方々も、
よさこい節を使っていない、鳴子を持っていないニュースクールの方々も、
「自分たちはよさこいをやっています!」
でいいんじゃないかなって!!
恐らくこれからもよさこいは多種多様な変化をしていくと思います。
冒頭で
っていうことの回答として、
みんなが「自分たちはよさこいをやっている!」っていう認識があったらそれはもう「よさこい」でいいじゃん!!
ということに落ち着きましたよさ。
めでたしめでたし
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