チームインタビューのお時間です!!
今回なんと再び“あの”超有名実力派チームにインタビューをさせていただくことができました。

笑゛さんです!!
笑゛さんは今回2度目のインタビューです。
前回は2年前の同じ1月でした。
この2年と言えばコロナ禍真っ只中。
どのチームも誰も経験したことがない状況の中、試行錯誤しながらチーム運営をし、映像や演舞を制作してきました。
それは笑゛さんも同様です。
そこで第1回である今回はそんなコロナ禍で代表であったないーぶさん(@naive1224)にこの2年間を振り返っていただき、
コロナ禍でのチーム運営、そして元々チームが抱えていた懸念など、それらに対してどのように考え、決断し、取り組んできたのか、についてリアルなお話をしていただきました。
どまっぷのブログお読みの方はどちらかと言えばチームの代表やスタッフの方が多いので共感する内容もあるのでは、と思います!
① この2年間を振り返って ← 本記事
② 2022年度作品「湧き興す川祭」について ← 次回更新予定
③ 今期新体制と今後の目標について ← 次々回更新予定
以上の内容でお送りします。
今回のインタビュー3回ともボリューム多いけどかなり大事なお話をしているのでちゃんと読んでね♪

【代表の今後の話】

2022年を以て代表を交代されましたが、代表を引退されてからはチームとの関わりについてはどうされるんですか?
今年からは副代表になってチームに関わっていきます。
チームの運営や作品作りについての決定権は僕にはないんですが、一応2年弱作品とチームを作った身でもありますので代表のサポーターみたいな立ち位置で入ります。


そのように代表を降りて、副代表としてチームに関わるというケースは笑゛の歴代代表としてはよくあるんですか?
多分副代表に降りるのは初めてですね。
大体代表を降りた瞬間はチームから離れています。
数年後にチームへ戻ってきて、メンバーとして在籍するパターンはあります。
「何が何でも」(2012年)の年は、初代代表の大澤さんが振り作りやプロデュースとして関わっていたと聞いています。
また「轟音」(2017年)は歴代代表勢が共闘して制作に関わってパワーを発揮してた年でもありました。
ただ基本的には「代表を降りる=チームから一旦いなくなる」というのが割とよくあるパターンだと思います。

◆これからの笑゛のために

そこを今回残る、且つ副代表としてチームに引き続き関わっていくということになったというのは何か個人的な想いがあるのでしょうか。
今回代表をやる任期を2年と決めてやっていたんですが、これは家族との約束での2年でして。
代表になった経緯が急だったのでそもそも「代表をやる」という人生設計をしてなかったんです。
子供も1人目が生まれたタイミングでしたし家族としてはもう1人欲しいよね、という感じだったので。
だから自分の作りたい笑゛を実現できるまでの時間軸も踏まえつつ、育休産休の期間なども含めて2年だったら応援できる、というところからスタートしました。
もちろんこの2年はやり切ったつもりですが、これですっぱりチームから抜けると言うよりは、これから先まだまだやれることはいっぱいあるだろうという感覚があります。


直前まで代表職であった人間がそのまま副代表として居続けることでその経験をすぐ次年に活かすことができるのでチームとしてもとっても心強いですね!
【2年間の代表職を振り返って】

2年間代表をやられてきたわけですが通常の2年とコロナ禍で様々な活動制限があった中での2年って全くチーム運営のやり方が違うと思います。
歴代の代表も経験したことないと思いますし。
そのような前例がない中でのこの2年間を振り返ってきて率直にどうでしたか?
◆チームとしてピークアウトしていた感覚
率直に言えば、
最初の数カ月は本当に苦しかったですね。
いきなり代表になったということもあるので何も準備できていなかったですし、
こういうこと言ったらメンバーに失礼ですし、他チームからすれば「そんなことない」と思うかもしれませんが、
チームとしてピークアウトしているなー
と思うところもありました。
ファイナルにはずっと残っているんですが、大賞や準大賞が当たり前だったチームが次第に「3本の指に入る」→「5本の指に入る」って少しずつ落ちているという。
毎年狙うのは大賞なのでそことの距離が徐々に離れていく感じでしたね。
メンバーの入れ替わりも速い中で力を持っている人が抜けていくこともありましたし、コロナで活動もままならない中でチームの熱量も上げづらい。
だから結構ゴタゴタしていたと思います。
特に笑゛は「どまつりのステージ」っていうものにすごく価値を見い出しているメンバーが多かったので、市街地演舞や審査がない中でどうチームを運営していったらいいんだろう、みたいな悩みは尽きなかったです。
でも笑゛を潰したくないっていう一心で代表になりましたが、「やれること」と「やらなきゃいけないこと」とギャップも、メンバーとの熱量の差もあって、それらのギャップがきつかったなっていうのが最初の数ヶ月間でした。

◆笑゛を畳む選択肢

完全に手探りですね。
ちなみに代表になった経緯が急ということですが、そこでは自ら手を挙げたんですか?
それとも任命ですか?
普段は任命なんですが今回は特殊なケースで、前任がイキナリ代表やれなくなり、当時代表に近そうなメンバーで「次誰が代表を背負うか?」「担う人がいない場合チームをどうするか?」という話をしました。
誰かが後を引き継ぐか、チームを潰すか、というレベルで、
ジタバタして晩節を汚すぐらいであれば潔くチームを畳んだ方がいいんじゃないか
という意見もあったぐらいです。
でもそれはすごく無責任というか、まだやれることがあるかもしれないのにっていうところが僕の中にあったのと、状況が状況だったのでここで自分が手を挙げなかったらチームがなくなって、多分一生大澤さん始め歴代の代表に気持ち良く話しかけられなくなると。
チームが続くってそういう繋がりを作り維持していく上ではすごく大事だなと思って。
なのでスタートは渋々、でも覚悟は決めて手を上げたっていう感じですね。


笑゛がなくなるという選択肢も出たぐらいゴタゴタされていたんですね。
インタビューするまで全く知りませんでした。。。
ただそこで手を挙げるという覚悟は素晴らしいと思います。
◆腹を括る

そのような状況で代表職に就かれて最初の頃はどうでしたか??
スタートは苦しかったですがその後は結構色々いろんな人から叱られたのもありますし、自分自身マインドが変わった分もあり、代表1年目の「祭初め」(2021年)はチームとしては苦しかったですが、やらなきゃいけないことは結構明確にできました。
また、コロナ禍でもチームに残ってくれているメンバーしかいないので、ある意味それ以上の離脱者はいない、本当に笑゛に気持ちを持ったやつらでやってるっていう安心感みたいなものはありました。
だからチームの地盤をもう1度固めていくということは、腹括ってからは結構イメージはしやすかったです。
2022年度に向けてやらなきゃいけないことや、笑゛が大賞をもう一度取るために狙わなきゃいけないもの、変えていくべきものを1年かけて制作陣やスタッフ陣と話せたので。
そこからは前向きな気持ちで代表をやってました。
ただ今年の作品「湧き興す川祭」(2022年)をお披露目する前は、この方向性がウケるかウケないかは全くわからなかったので結構怖かったですね。
犬山踊芸祭はめっちゃ緊張しました。
でも幸い評判も良く、犬山の演舞を見て戻ってきてくれるメンバーや、大道具やスタッフを手伝ってくれるOBOGもたくさんいたので良かったです。
初披露からはすごくいい流れでチームを作れたのかな?とは思っています。
代表就任直後は気持ち的に下からスタートだったんですが、それ移行は代表としてモチベーション高くやれたと思います。

◆代表としての転機

先ほど「腹を括る」というフレーズがありましたが何か転機のようなものがあったんですか??
最初にどん底だった話したじゃないですか、代表になった時に。
当時は僕も家庭も子供ができるタイミングだし、コロナだし、というめちゃくちゃ大変な中で代表になって、ある意味「そんなボールを拾った」ということだけをリスペクトしてついてこい!という感じだったんですよ。
メンバーが温まっていないという話をしたんですが、
「大変なのはみんな知ってるじゃん!何でもっと前のめりに手伝ってくれないの?」
みたいな状態だったんですね。
ある時転機が訪れたんです。
グループ電話で指導員のメンバーから叱られてというか、
「ないーぶが何をしたいのかがわかんない。
俺たちが何をどうすればいいのかもわからないし、
そもそも俺らの火がついてない」
っていう話をすごくされたんです。
その電話を聞いた瞬間は「同じ目線に立ったリーダーだと思っていたのに何でそんなに受け身なの!?」ってすごいブチ切れたんですけど、
でもよくよく話してると、
代表が幹部に火をつけるってすごく大事な一歩なんだなっていうのをその会話で感じたんです。
リーダーに火をつけるのも代表のやるべきことだよって。
今の大変さもわかるし、何も言わずに手伝ってよ、一緒に作ってよ、
っていう気持ちもわかるけど、でもそれを代表が言い出さないと、誰も本気ではやってくれないからって。
そこから結構メンタリティが変わりました。
この2年間の笑゛はその転機があったからこそ実現できましたね。
代表から声をかけることややりたいことをプレゼンしていくことっていうのは、やっぱり幹部をまとめる上ではすごく大事なステップだなと思いました。
長く一緒にいる関係でも年ごとにみんな状況は違うし、立場も変わっていく中で、毎年ちゃんと「こういうことを一緒にやってこうぜ」とか「こういうところを頼りにしてる」とかなあなあにせずに伝えてくのが大事だと学びました。


代表にしっかりと意見してくれるメンバーがいるというのはすごく心強いと思います。
【仕事と子育てとよさこい】

全く笑゛と関係ない質問になるのですが、「仕事と子育てとよさこい」という視点からの質問です。
ないーぶさんは
社会人で
父親で
笑゛の代表です。
学生からずっとよさこいをやっていて、社会人になり結婚して子供が生まれる。
社会人として、父親として、そして踊り子として「三足の草鞋」状態じゃないですか。
どまっぷの読者の方も男女問わず同じような方は多いと思います。
やっぱり多くの踊り子は今まで通り活動を続けたくても自身や周りの変化で色々制限がかかってくることってあるじゃないですか。
子育てってその最たるものだと思います。
それをイチ踊り子ならまだしも代表をやりながらどのように両立させていったのかとても気になります。
仕事の面で大きかったのは在宅勤務やリモート会議ができたことですね。
やることはやって、その合間や本来通勤している時間に笑゛のことを考えることも出来たんですよね。
笑゛のミーティングも全部ZOOMでやっていました。
基本世の中的にも面着を良しとしない空気だったので効率的に時間はつくれました。
また仕事も元々は人事だったのが、コロナの前くらいから企画に異動になったんです。
人事や営業職だと多分きつかっただろうなと思いますね。
出張もありますし面談や面接などは物理的に時間が拘束されてしまうので。
企画部門はその辺りのコントロールは比較的しやすい立場かなと。
だから仕事の面では結構両立しやすかったですね。


確かに在宅勤務はこのコロナ禍でかなり色々な会社が導入されていて、やることをキチンとやれていれば会社には絶対言えませんけど(笑)、融通を利かせることはできますよね。
そういう意味では“要領良くやる”という能力なんでしょうね。
家庭の面では・・・これはもう本当に嫁の諦めと多大なるご理解ですね(^_^;)
元々一緒に名古屋学生チーム『鯱』で踊っていたので、全く知らない趣味をやるよりかは理解はあるのかなと思います。
しかも子どもに父親が頑張っている姿を見せられる趣味ってあんまりないじゃないですか。
YouTube観てたらお父さんが出てくるなんてそうそうないので。
お祭りに一緒に観に行ったり応援できるっていう意味では良い趣味なんじゃない?って言ってくれています。
あとは代表になった経緯も全部知っていますし、家族にも話した上で代表になると決めたので、そこはある意味「代表として頑張らなきゃいけないことがあるから、ここまではこっちも頑張るね」と言ってくれたのが大きいです。
あとはもう家にいる時はできる限り家事やるとか、いつも感謝を伝えるとかですかね。笑
もちろん喧嘩がなかったわけじゃないですし、僕には言ってこない不満もたくさんあるとは思いますが、それもひっくるめてめちゃくちゃ感謝しています。


やはり家族の理解は必須ですよね。
相手の理解がないとただ好き勝手やっているだけと捉えられてしまいますし、それが後々積もり積もってトラブルになる可能性もあります(^◇^;)
そうならないためにもやはりキチンと話し合うことは大事ですし、お互い譲歩できるところは譲歩し、協力できるところは積極的に協力する。
そういう身近な方の理解と協力は、子供を持つ踊り子の方は日々意識しながらやられているんですね。
寛大な奥さんの心があってのことなのですが。

第1回は以上です!!
すごく赤裸々にと言いますか、生々しいお話を聞かせていただいたと思います。
コロナ禍という誰も経験したことない状況の中、チームを畳むという選択肢も出るくらいの危機に瀕しながらも覚悟を決め代表になり、チーム内の衝突もありながらそれを転機とし、腹を括って2年間代表職を勤め上げられました。
そんな今回の記事では「周りの協力や支え」がキーワードだと思います。
チーム、その中でもスタッフ、そして家族。
次回はそんな周りの協力という観点で前回の第24回のどまつりで第4位に入賞された作品「湧き興す川祭」について、深掘りしていきます。
次回は「湧き興す川祭」を大解剖するっぴん!!

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