再演に関するブログ3個目です。
今回は再演!再演!と言っていますが真逆の方からの意見も考えてみたいと思います。
要は「いや、別に再演とかいいです。」という層側からの意見です。
直近のいくつかのブログテーマから真っ向からの対立意見です。
再演を希望する声はあくまで「観る側が楽しむもの」というの立場に立った意見です。それも「よさこい玄人お客さん」に当てはまります。
「よさこい玄人お客さん」ってテキトーにネーミングしましたが、お祭りに何度も足を運んでいてかつ特定の推しチームがいるお客さんのことです。
ただお祭りに来る全てのお客さんがよさこい玄人お客さんではないです。そしてそれはまた踊り子も同じです。
おそらくどまっぷのブログやツイートにコメントくださる方は踊り子、お客さん含めよさこい玄人の方が多いと思います。
ただよさこいに対する熱量は人それぞれだし、物事何でもそうですけど熱狂者はごく少数で多く人はそこまでのモチベーションは高くありません。
また、よさこい玄人お客さんの中にも必ずしも推しチーム推し演舞があるわけではなく、特に高知のよさこい祭りのお客さんに多いと思いますが「演舞ではなく雰囲気」が好きという楽しみ方もあります。
そのように特定の推しチームがない、推し演舞がない方、また踊り子のみなさんは再演に関してどうなんでしょうか。
推測してみます。
ここで推測と言ったのは個人的には再演した方がお客さん的にもいい「だろうなぁ」と思いますし、
踊り子的にもいろいろな曲が演舞出来た方がバリエーション広がるからいい「だろうなぁ」と思うからです。
でもあくまで個人的にそう思うだけで、そう思う自分は踊り子もほぼ引退したお客さん寄りの意見であることはご容赦ください。
お祭りの楽しみ方は人それぞれ
よさこいの楽しみ方、お祭りの楽しみ方は人それぞれです。
① 踊るのが好き、みんなと一緒に踊るのが好き(踊り子)
② 特定の推しチーム(もしくは人)を観るのが好き(お客さん)
③ お祭り全体の雰囲気が好き(踊り子・お客さん)
とか。
過去曲の再演は主に②の立場の方からの意見である
今回再演!再演!とその可能性を探っているのはあくまで②の立場からの意見です。
お客さんの立場だと過去曲も観られたら単純に嬉しいじゃないですか。
アーティストのコンサートで自分の好きな昔の曲が演奏されてテンション爆アガるみたいな。
①の人も中には再演したいと思う方もいると思います。中には。
でも恐らく多くの踊り子のみなさんはそこまで重要視というか過去曲の再演に関しては考えたこともないかもしれません。
それは踊り子の問題ではなく、以前も言ったようにチーム体制がそもそも過去曲を保存するということに重きを置かれた体制ではないからです。
次に③の場合。
特定の演舞がどう、ではなくそもそも”お祭りが好き””特定のチームが好き”なので個別の演舞がどうとかではない、という立場です。
これは個別の演舞がどうでもいいというわけではありませんのでお間違えなきよう。
“演舞そのもの”は実はそこまで重要ではない !?
「重要ではない」って書くとすごく語弊がありますが多くの「観る側にとって」という意味です。
あるチームが新曲の「A」という曲を演舞しようが過去曲の「B」という曲を演舞しようが観る側からすればどちらでもいい。
何故ならそのチーム自体が好きだから。
もしくはチームが好きではなくそのお祭りの雰囲気が好きだから。
「お祭り」という根本から考えると演舞曲そのものよりも演舞を通して演者とお客さんとのコミュニケーションはとっても重要です。どまっぷでも「全ての表現はコミュニケーションである」ということも言ってきましたし。
フェスで知らないバンドの曲で何故か盛り上がった経験はありませんか??
ちょっと対象の方が限られるかもしれませんが特定のアーティストのコンサートではなく、お祭り=フェスということで考えれば音楽フェスに行ったことはありませんか??
フェスなので必ずしも自分が好きなアーティスト、バンドだけではありませんよね。でも好きなアーティスト、バンドでなくても、自分の知らない曲でも楽しければノリますし、決まった振り付け?も見様見真似で真似したこと、ありませんか??
これはつまりそのアーティスト、バンドの曲がどう、ということではなくてノリノリの曲で周りのお客さんと一緒になって盛り上がるっていう行為そのものが楽しいじゃないですか。
これが知っているアーティスト、バンドだと途端に自分のお気に入りの曲じゃないとなかなか盛り上がれない、っていうことありますよね??
お祭りの楽しみ方って本来はこちらのような気がします。人ぞれぞれではありますが。
徳島の阿波踊りでの経験
次に自身の経験なのですが、よさこいではありませんが高知のお隣の徳島の阿波踊り。
中の人は好きなのですがこれは特定の「連」(チーム)が好きなのではありません。自分自身がまだニワカということもありますがそれよりも“阿波踊りの全体感”が好きなんですよね。
様々な連が、またそれを観るお客さんが、街全体が、醸し出すもの、それが好きなのです。
これってよさこいももちろんあるじゃないですか。
高知のよさこい祭りは地元の方や長くお祭りに出られている方は異なるかもしれませんが、一旅行者程度の自分としては多少有名チームのことは知っていますが追っかけて観るほど特定のチームが好き、ということではなく、次から次へとチームが流し踊りをして、演出がどうとかではなく様々なチームが作り上げる“お祭り”という空間。
多くのお客さんがそれぞれの楽しみ方でお祭りを楽しみ、特定のチームを応援するもよし、観光の一環でふらっと訪れて「うわーすごいね!」と口々に言いながら短い時間かもしれないけれど同じ時間を共有するもよし。
その場合チームの特定の”コレ!”っていう演舞でなくてもいいじゃないですか。
そういう楽しみ方をされている方は特定のチームがどうとか、特定の演舞がどうとか、正直どうでもいいじゃないですか。
高知のよさこい祭りはそういう傾向が強い(と思う)
誤解があったら申し訳ないのですが本家本元高知のよさこい祭りのお客さんはそのような思考の方が多いのでは??と考えています。
その演舞曲が、というよりかはそのチームが好き、よさこい祭り全体の雰囲気が好きなことの方が強いんじゃないかなって。その他エリアでもそのような方多いのかもしれません。
・・・という楽しみ方の場合冒頭で言ったような演舞曲が新作の「A」でも過去曲の「B」でも何踊っても観る側からすればあまり重要ではない、ということです。
だってお祭りだから。舞台を観に来たわけではないからです。
特定の曲を演舞しなくてもそのチームが好きだから何演舞しても好き。
そもそもお祭り全体の空気感が好きだからむしろどのチームの演舞でも好き。
こういう場合は再演!再演!と言われてもそこまでではないでしょうし、むしろ再演してくれてもしてくれなくてもどっちでもいい、ということです。
踊る側からすれば「何踊ってもお客さんにとってはいい」と言われたら思うところはあるかもしれません。
何故なら各演舞曲にはその年製作に携わったメンバーのたくさんの想いが詰まっているからです。
毎年毎年多くの時間を費やしその集大成をステージで披露する。
それは逆に言えばお客さんがどうとかではなく胸を張って自信を持って踊るべきです。
でもお客さんから見ればそれまでの努力や苦労は演舞では伝わりませんし、何十チームの中の1演舞です。
踊り子のみなさんもお祭りでいろいろな演舞を観ると思いますが自分たちのチーム以外のそれまでの努力や苦労は伝わらないじゃないですか。
そのように踊り子とお客さんの間にもまた違う意味での”壁”があります。距離感とも言いましょうか。
そしてこの壁は次第に大きくなっているような感覚を受けます。
踊り子は踊り子で踊って楽しむ。お客さんはお客さんで観て盛り上がって楽しむ。
総踊りも最近の総踊りはみなさん言うように「お客さん置いてけぼりの総踊り」になっていて、本来の”一緒になって踊る”のではなく「いろいろなチームの踊り子がごちゃ混ぜになって踊っているのを観て楽しむ」状態になっています。
よさこいは今やお祭りとして一緒に楽しむ、という状態ではなく、踊る人・観る人とハッキリ分かれた状態でそれぞれの楽しみ方で楽しむ、という状態になっています。
だからこそ映画のように、音楽アーティストの曲ように過去作をもう一度”観たい”という思考になるんじゃないかなぁって思いました。
それが良いか悪いかということではなく、お祭りとは今後そのような形になっていくのではないかなと思います。
みなさんいかがですか??
次回はこの踊る側と観る側の壁を深堀りしていきます。
ちょっとぶっこんだ内容になっておりますので暖かい目で見てくださいね笑笑
なんだか思考の渦に巻き込まれているような感覚になってるっぴん笑
コメント