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まっぴん
よさこい応援団長
よさこい界の道しるべとなることを夢見るかわいい一つ目モンスター♡その正体はマップピンの妖精だっぴん。
よさこいをたくさん見るために、大きな目を持っているっぴーん!
(v・ω・)vどまっぷ3周年!!いつもありがとうございまっぴん!!v(・ω・v)

【インタビュー】愛し愛され笠寺いちり①

さぁ始まりました

新・企・画!!

 

どまっぷが図々しくもチームの代表さんにいろいろ聞いちゃいます!!

今までこういうインタビューはなかったので面白そうでしょ??

そして皆、そういうチームの内情とか、知りたいでしょ??

知りたいよね?

興味あるよね??

ね?

ね?

 

ってことで記念すべき第1チーム目は!!

 

笠寺いちりさんです!!

 

instagramはこちら

 

今回代表の恵土さんに練習後お付き合いいただきました!!

ありがとうございます!!

 

 

なお、リアルな会話を大事にしたいのでインタビューの内容をまとめて書くのではなく、

インタビューをそのまま書かせていただいてます。

なので文字数がかなり多くなっており数回に分けて掲載しますのでご了承くださいm(_ _)m

 

目次

1.チーム設立の経緯

2.チーム名の由来

3.どまつり初出場

 

1.チーム設立の経緯

 

どま : 今日は練習後にわざわざありがとう!よろしくお願いします。

えど : いえいえ。こちらこそよろしくお願いします。

どま : じゃあ早速だけれどももろもろ質問攻めしていくのでよろしくです。

まずはイキナリだけれども核心、というか今回最も聞きたかったことなんだけどそもそも何故チームを立ち上げようと思ったの??

えど : 元々チームを作るつもりはなかったんですよ。ただ岐阜聖徳学園大学 柳にいた時2014年に振り班になったんですね。で、初めて製作に関わることになって。

その時白扇子を2本両手に持つ、っていうことをやったんですね。

 

 

どま : それって夢想漣えさしさんの演舞を過去に観たことがあったから参考にしようみたいな??

えど : 違うんですよ。ほんとに偶然で。

で、その時衣装を中野屋さんに依頼していてその打ち合わせの時に「白扇子を2本使うんです。」っていう話をしたら、

「じゃあ夢想漣えさしさんくらいにならないとね」って中野屋さんから声をいただいて。その時に初めて夢想漣えさしさんを知ったんですよ。そして2011年のソーラン大賞演舞を観たんです。

 

 

そしたら圧倒されたんです。もう感動しちゃって。それからもうリスペクトです。

でその後たまたま様々なご縁に恵まれて2016年に夢想漣えさしさんでソーランに出させてもらえることになったんです。

毎週週末に北海道に飛んで練習しに行きました。長い時では10日間メンバーさんの家に滞在して練習していました。

夢想漣えさしさんて故郷である枝幸町をほんとに大事にしていて。

 

 

練習をしていく中で、メンバーが地元をとっても愛している、大事にしているんだなぁというのが伝わってきて。

 

それを「羨ましい」って思ったんです。

 

そこから地元に戻って俺もチームを立ち上げようっていう想いが芽生えてきたんです。

夢想漣えさしさんみたいに地元に愛し愛されるチームを自分も作ってみようって

どま : なるほど。ということはその2014年の岐阜聖徳学園大学 柳の演舞で白扇子を使っていなかったら、中野屋さんに衣装製作をお願いしていなかったら、思い切って毎週夢想漣えさしさんに踊りに行かなかったら、

今の笠寺いちりは生まれていないってことだね。ほんとにご縁のめぐり合わせっていうか、いろんなものが重なったんだね。

で、その流れでチーム名の由来を聞いてもいいかな?

 

2.チーム名の由来

 

えど : 今でも覚えているんですけど、夢想漣えさしさんでソーランに参加した2016年の10月18日にチームを立ち上げたんです。チーム名を決めたんです。いろいろ考えたんですよ。

まず俺の地元笠寺に笠寺観音があって「笠寺」という文字は地元へのリスペクトを込めて背負おうと思ってました。

「いちり」は、昔旧東海道の宿場町が笠寺にあったんです。

当時旅人は一里塚(一里ごとに塚を築いてその上に木を植えてそれを道しるべとした)を目指して旅をしていて、笠寺にも笠寺一里塚という場所があるんです。

 

 

 

これからチームを続けていく時に大事にしたいことをその「一里塚」からもらいました。

躓いたり、迷ったりした時にはじめた時の想いを忘れないようにしたい。その想いを「一里塚」のように目印に歩み続けていきたい。って思います。

そして、東海道のように長く長く続いていけるチームでありたいし、その時も「一里塚」のようにドーンと大きく、堂々と胸張って今やってることに自信を持っていられるようになりたい。と思います。

そこから「いちり」という文字をいただきました。ひらがななのは皆さんに親しみやすいかなと思ったからですね。

 

3.どまつり初出場

 

どま : そうやって出来た笠寺いちりさんは翌年2017年からにっぽんど真ん中祭りに初出場したわけだけど、初年度から一般審査(40人以上の審査枠)に出場したの??

えど : はい。無理矢理ですね。そこだけは意地で。U-40部門は出ないって。

どま : 確かに。U-40って正直一般審査枠と全然色が違うからねー。

えど : それはほんと意地で、一般審査出られない人数ならどまつり自体出るのやめようと思うぐらいでしたね。それでREDA舞神楽さんと笠寺いちりが新人賞に入ったんですよ。

どま : それはすごい!!やったね!!

えど : その時は凄かったですよ。

夢想漣えさしさんにも相談したんですよ。白扇子使っていいですかって。

それで俺は白扇子使うの実は反対だったんですよ

でも周りが使えばいいじゃんっていう意見があって。

でもそれってもう「夢想漣えさし」になっちゃうじゃんって。だからやりたくなかったんです。

でも考えていく内に、じゃあ何のために夢想漣えさしさんでソーラン出て、そこで得たものを今後どうしていくのかってなった時に、やってもいいかなって思って。

夢想漣えさしさんの代表に電話したんです。そしたら「恵土だったらいいよ」って言っていただけて。

どま : おーまじか。信頼されていたんだね。

えど : あれだけ一緒に一生懸命頑張ったし、そう、それがほんとに人に恵まれているなって。

代表も会長も頑張れって言ってくれて。

今年のどまつり合宿にも来てましたよ。夢想漣えさしさんから「チーム力を学ぼう」みたいな講演があって。当日はVIPルーム呼ばれて挨拶して、出てきたらどまつり合宿のスタッフ側にびっくりされて笑笑

で、そういうすごい方々に認められるんだなって思うとやるからにはもうまずは夢想漣えさしさんにならないとなって。

1年目2年目も目標は「夢想漣えさしじゃん」って見てくれる人に思われることでした。

で、すごいなって思ったのは・・・

 

【ここまじオフレコ内容 なので割愛しますすまん。】

 

どま : いやいやいや笑笑 その話はさすがに記事にできんわ笑笑

 

 

 

 

 

 

その②に続きます・・・。

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この記事を書いた人

どまっぷブログ編集マン。大学生の時によさこいを一目見て「これだ!」と思い大学生活を捧げる。その後ダンスや舞台経験を経て振付師として活動しつつどまっぷ記事書いています。

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