前回前々回と指導者の役割、振り入れのやり方についてお話しました。
よさこいは群舞です。
何十人もの人数の踊り子が一糸乱れぬ気持ちと動きで踊り、観客を魅了します。
そのダイナミズムがよさこいの魅力であり、ダンスとは異なる一側面です。
練習班・指導班としては常に全体を意識しながら指導されていると思います。
ただ「全体を見る」って一体どうやって見るんでしょう??
人間の目は2つです。
そこで今回は指導者として全体を見るか個人を見るか、そしてそれぞれどのように見るか、いつ見るか、ということについて考えてみました。
あくまで一例と言うか、これが正しい!!と押し付けるつもりはありません。
指導者のみなさんそれぞれポリシーというか自分たちの積み上げてきたノウハウがありますのでそれを否定するつもりもありません。
正解はチームそれぞれにあります。
まっぴんは目がひとつしかないからひとつのことしか見れないっぴん
木を見て森も見る
キーワードは「木を見て森も見る」
「木を見て森を見ず」ということわざがあります。
小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことの例えですが、指導者は「木」も「森」も両方見る必要があります。
木とはメンバーひとりひとりのことで、
森は全体ということはまぁなんとなくわかりますよね。
「結局両方見るんでしょ?そんなことみんな知ってるよ!」
と言われるのはわかっています(笑)
ただ全ての練習メニューで木も森も見ることはできませんよね。
「木」を見るとき
木、つまりメンバー1人1人を見るタイミングは新曲製作における
「初期」〜「中期」です。
具体的には振り入れからざっとした隊列移動の練習をして、一通り踊れるようになりました状態です。
細かい部分の修正もしていますね。
ここまでは個人個人細かく見る、木をがっつり見るところです。
誤解のないように説明すると別に森を見る、全体を見るということを「やっちゃいけない」というわけではありません。
別に早期から森も見ながら木も見て、全体的な指導もしながら個別に指導してもいいです。
ただしそれには指導者側の力量が問われます。
「はい、じゃあ踊ってみて」って言って振り付けと隊列両方見るっていうのはけっこうしんどいです。
練習メニューの中で今は振り付けを見る時、今は隊列を見る時って分ければいい話ですけども隊列見ている時でも振り付けのことって気になっちゃうじゃないですか(笑)
だからまっぴん中の人は新曲製作においては時期で区切ってまして、後期ではあまり木、個人の振り付けは見ていません。
それには理由があります。
新曲製作後期で木を見ない理由とは??
2つ理由があります。
- 後期はパーツを組み合わせる段階である
- 観ている側は細かいところまでは気にしていない
後期はパーツを組み合わせる段階 である
初期、中期では振り付けや隊列などそれぞれを作り上げる期間です。
曲や衣装、各種大道具関係もこの時期にはまだ出来ていないので森がまだ出来ていない状態です。
後期ではそれら初期、中期で出来上がったパーツを組み合わせる時期だからです。
ガンダムのプラモデルで言うと手とか脚とか胴体とか武器とかそれぞれを組み上げますよね。
料理で言うと材料を揃えたり下味をつけたりしてから調理に入りますよね。
その組み上げる、調理する、が後期であると考えています。
もちろん後期で木を全く見ないわけではありません。バランスの話です。
プラモデルでも上手く組めなかったら各パーツを確認することもあるでしょうし、
料理でも味見してちょっと足りなかったら味付け足したりしますよね。
観ている側は細かいところまでは気にしていない
これはもう単純です。
観ている人はそこまで気にしていないからです。
お客さんの審美眼がどうとかいう話ではありません。
よさこいにおける群舞はみんながみんな一糸乱れぬ、文字通り「一糸乱れぬ」ことはあまり重要でないように思います。
もちろんバラッバラでもいいというわけではありませんが、ロボットのような精密な揃いまでは求められていません。
揃えることは一糸乱れないように振り付けではなくそれよりも大事なところ
気持ちとか想いとかを揃えるべきです。
前回お話しした「角度」の話。
元々45°の角度が正解の振り付けが人によって30°だったり60°だったりしても当日お祭りでそれを観たお客さんが「はいダメ〜」「あ!間違えた!!」とは思わないじゃないですか。
審査員のときもそんなところまで見ていませんし一瞬過ぎてわかりません。
流石に右45°に出す振り付けで「左」45°に出してしまってはダメですけども(笑)
それはそもそも練習の時点で気づくはずです。
大事なのはベクトル、方向なんですよね。
上下左右前後左右さえ間違えなければ大枠良いと思います。
自分がお客さんの時に知らないチームの演舞を観てもそもそも正解がわからないですし、45°が30°だったとしても気にはならないじゃないですか。
踊りってそういうエネルギーの放出じゃないですか。
これわかりますかね??
そのエネルギーが45°だろうが30°だろうが同じような方向に放たれていれば観ている側には伝わります。
それよりも幕が裏返って「X」になるとか衣装替えが上手くいっていない方がよっぽど気になるじゃないですか。
そこで「いや、角度までキッチリ揃えていくことが大事じゃん何言ってるの??」というのは各チームこだわりであってそれが必ずしもお客さんに伝わるかどうかは別です。
でも矛盾するようですがそこを突き詰めて突き詰めて突き詰めると頭ひとつ抜きんでるんですけどね。
どこを切り取っても狂いがない、正に物理的に一糸乱れぬ精密な踊りを踊るチームもいらっしゃいます。
途方もない細かい練習とメンバーのスキル、モチベーションが求められます。
そういうことができるチームはわずかです。
だから自分が練習していてもベクトルが間違っていなければ振り付けについては問題ないと判断しています。
「森」を見るとき
ということは「森」を見るときは
「中期」〜「後期」です。
中期は実質隊列練習をやっている段階ですのでその隊列自体の見え方や作品としての伝わり方などを試行錯誤する段階だからです。
後期では隊列も全員に指示が終わり、仕上げていく時です。ここでは個人の振り付けがどうとかいう時期ではないことは上でも書きました。隊列もそこまで細かく指示を出す時期ではありません。
後期に見なければならない「森」というのは印象です。
その演舞を一通り見てどう感じるかとか、伝えたいことがキチンと伝わる演舞か、とか。
そういうところです。
全体を見るときは自分は演舞を観ないようにしています。
どういうことかと言うと踊っているメンバーの真正面に立って全体が視野に入る場所からセンターの奥を見ます。
つまり敢えて「木」を見ないようにしているということです。
それはさっき言ったエネルギーの放出、方向を観ているからです。
演舞を一通り見終えた後の印象が新曲製作当初にチーム内で打ち合わせたメッセージ、そういうものが本当に伝わるのか、という視点で観ます。
そこにはひとつの振り付けがどうとか、ひとつの隊列移動がどうとか、そこはそこまで気にしません。
怒られるかもしれないですけど振り付けが8カウント変わったとしてもそれで1曲通して踊った印象が大きく変わるか、と言われたら変わらないじゃないですか。8×4くらい変わるなら話は違いますが。
だから言ってしまえば細かいところよりも全体感。
全体通して見てどうか、の印象をとにかく大事にするのが新曲製作の後期であり「森」を見る理由ということです。
今回は以上です。
木とか森とかエネルギーとか少し具体性が感じられにくい話かもしれませんがあくまで大枠の話です。
お客さんは振り付けのひとつひとつを観ているのではなく全体を通して感想を抱きます。
ドラマや映画を観ていても「このセリフもっと違う言い回しあったんじゃない?」って感じることがあるかもしれませんがそれがその作品全体に与える影響って僅かです。
ただしまた矛盾すること言いますけども、
でもそういう細かいところ、振り付けの角度や軌道、息遣い、表情、衣装の舞、MCのセリフの言い回し、幕のタイミングや張り具合などなどを地道な練習で極めていけるチームというのが賞選考で競っているときに評価される部分でもあります。
「神は細部に宿る」ってそういうことですよね。
結局どっちなの?と言われてしまうかもしれませんがあくまで大枠の話なのでこれから始めて新作作ります!!っていう方の参考程度になれば嬉しいです。
また、既にベテランの方はこのブログを読んで個々人思うところはあると思います。
「いや、自分は違う」
「ここは僕らはこうしてる」
という意見があれば是非ぜひコメントください!!
基本的なノウハウをもっと共有していきたいな!と思うまっぴんでした!!
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